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Claude Code の父と、徳島の畑から、ソクラテスまで
ボリス・チェルニー(Boris Cherny)は、自分を「ビルダー(つくる人)」と呼ぶ。いまもプログラミングをしている、とも言う。それなのに、去年の十一月から、コードを一行も手で書いていない。
彼は Claude Code というツールをつくった人だ。AI にプログラムを書かせる仕組みで、数日で形にした。祖父はソ連の時代にパンチカードでプログラムを書いた技術者。彼自身は十三歳から独学でコードを書き、プログラミング言語の教科書まで著した。三代続いた「手でコードを書く家系」の、いちばん新しい世代だ。手で書くことに誰よりもこだわっていい人が、書くのをやめた。そして自分の教科書の上に、こう言い添えた。「コーディングは、もう解決済みだ」。
足元が、変わったのだ。彼は、その変化に合わせて、つくり方を変えた。私も同じ道を通った。徳島の畑のそばで、自分ひとりと AI だけで、アプリをつくり続けてきた。
そもそも、アプリを「つくる」とは、何をすることなのか。そして、変わっていく世界の中で、それはどう変わるのか。
アプリをつくるとき、人がしているのは、ひとつの循環だ。三つの動きが回っている。
まず、構造を見つける。バラバラの事実から、ひとつの形を読む。たとえば、リン酸肥料はこの先、世界規模で不足していく。これは、調べれば誰でも知れる事実だ。だが、それをこの畑のこととして読むのは、別のことだ。
次に、仮説を立てる。その変化に、この畑でどう応えるか。肥料に頼れなくなる。だが、それは肥料をやめるという話ではない。土と根と草と虫が、もともと回している自然の仕組みがある。それを知り、その働きに沿えば、育つはずだ。確かめる前の、とりあえずの見立てだ。
そして、現実で確かめる。実際に畑でやってみる。育ったか、枯れたか。ずれたら、そのずれが見方を直す。仕組みを、また少し知る。そして、また見つけ直す。
見つけて、立てて、確かめて、また見つける。この循環が、アプリをつくる仕事の正体だ。科学者が自然に向き合うのも、自然農で畑に向き合うのも、同じ姿勢だ。先にすべてを決めて動かすのではない。現実を見て、応えながら回す。
では、この循環の中で、AI は何をするのか。
既存の知識は、全部 AI が持っている。コードの書き方も、設計の定石も、歴史も、哲学も、科学も。人類が書き残してきた知識は、もう AI の中にある。それだけのことだ。
だが、書き残された知識は、どれも「あるとき、ある環境で」成り立ったものだ。そして、環境は変わる。気候が、土地が、その年で。リン酸肥料がなくなれば、もっと大きく変わる。肥料があるという前提で書かれた農業の知識は、前提ごと古くなる。
リン酸がなくなれば、肥料なしで作物をつくるしかない。古いやり方が通じない場所に、否応なく立たされる。つくり方を、変えるしかない。
AI は、新しい環境への答えも、書かれているぶんは出してくる。リン酸がなくなったらどうするか、と聞けば、よどみなく答える。だが、その答えが正しいかは、分からない。書かれているのは、誰かがどこかで試して、たまたまうまくいって、書き残した、わずかな例だけだ。あなたの畑の、土質、気候が、その狭い例の中にある保証はない。だから AI の答えは、答えではない。確かめる前の、仮説にすぎない。
それでも、AI には大きな値打ちがある。変化への対応を、速めてくれる。一人でゼロから試すなら、見込みのある仮説にたどり着くだけで、何年もかかる。AI は、確かめるべき仮説を、いくつも、すぐに出す。あとは畑で確かめ、ずれを直す。循環が、ずっと速く回る。変化が来ても、追いつける。AI は、正しい答えをくれる相手ではない。変化に追いつく速さをくれる道具だ。
ここまで来ると、「人間は要らなくなる」が何を見落としているか、はっきりする。
自然言語で指示すれば、AI がアプリを作る。いま、これは「ライブコーディング」と呼ばれる。実際に作れてしまう。だから言われる。「もう人間は要らない」。
だが、当の Claude Code をつくったボリス自身が、その見方を退けている。これは雰囲気で指示するだけの作業ではない、と彼は言う。出てきたものを試し、ずれを見て、また指示する。検証をくり返す、れっきとしたサイエンスだ。
ライブコーディングで手早く作れるのは、AI がすでに答えを持つ領域だ。よくある形のアプリ。変わっていない、何度も試された場所。そこでは、注文して受け取るだけで足りる。
だが、世界は変わりつづける。リン酸はなくなる。気候も、市場も、技術も動く。古い答えが通じない場所が、次々と現れる。そこでは、AI が出す答えも、まだ確かめられていない。誰かが、変化に応えて、確かめ、新しい答えにするしかない。それを担うのは、変化の現場に立たされた人間だ。
だから、人間は要らなくならない。変化が止まらないからだ。AI が既存の知識をどれだけ完璧にしても、環境が変わるたびに、新しい対応が要る。その対応を、AI と一緒に、速く見つける。それが、これからの人の仕事だ。
現に、AI をいちばん作っている会社が、そうしている。Anthropic は、Claude をつくる会社だ。コードの多くを AI に書かせている。それでも、人を減らしてはいない。むしろ、三年ほどで十倍近くに増やした。非公開のため正確な数は分からないが、推計では数千人規模だ。そして、ある推計では、その三分の一以上が研究と安全に、三割ほどがエンジニアリングに割かれている。どれも、誰もまだ答えを書いていない最前線だ。書ける仕事が AI に移ったぶん、人は、まだ書かれていない場所へ向かっている。
AI の答えは、正しいとは限らない。だから、受け取るだけではいけない。問いただし、確かめる。これは、AI との対話である。AI が答えらしきものを出し、人間がそれを現実に当てて確かめる。二人で、循環を回す。
そのために、こちらにも素養が要る。AI は知識を惜しみなく差し出す。だが、こちらに読み取る力がなければ、答えの良し悪しが判断できない。すべてを覚える必要はない。覚えるのは AI の仕事だ。だが、答えを吟味する力は、こちらに要る。
しかも、相手は強いほどいい。浅い答えとの対話では、こちらの読みも鈍る。いちばん賢い AI こそ、こちらを鍛える。捨てるのではなく、振り回されない距離で使う。必要なときに呼び、頼り切らない。呼べるが、握られてはいない。
これは、新しい話ではない。
ソクラテスは、一行も書き残さなかった。彼の哲学は、対話の中にしかなかった。彼は、知識を多く持つ人ではなく、問いを見つけ、相手の答えを問いただす人だった。問いを立て、相手に答えさせ、その答えを現実に当てて矛盾を突く。あの動きを、彼は人間相手に回していた。
いま、答えを差し出す役を、AI が引き受けた。どんな話題にも、よどみなく応える。昔のギリシャの「ソフィスト」、弁の立つ知識の売り手のように。ソフィストは知識を持っていたが、それが正しいかは確かめなかった。だから、人間はソクラテスの側に立つ。AI の答えを問いただし、現実に当てて、確かめる。
ただし、注意がいる。ソクラテスの相手は人間で、問い返し、反発した。AI は問い返さない。それどころか、こちらに調子を合わせてくる。だから AI との対話は、昔の問答より危うい。抵抗がないぶん、「本当にそうか」と問う緊張を、人間が一人で保たねばならない。怠れば、対話は自分を肯定し返すだけの、こだまの部屋になる。注文して受け取るだけのライブコーディングが落ちるのは、この部屋だ。
変化は、誰にでも来る。あなたの現場にも来る。古いやり方が、通じなくなる。
そのとき、答えはどこにあるのか。書かれた知識の中には、まだない。変わったばかりの現実は、誰も書いていないからだ。答えは、その現実の中にしかない。畑に、仕事場に、暮らしに。
だから、変化に応える人になるのに、世界の中心にいる必要はない。中心には、書かれた知識が集まる。だが、それはすべて AI の側へ移った。新しい現実は、中心にも、周縁にもある。あなたの畑のそば、工房、現場にも。ボリスは中心で、コードという仕事が変わるのを見せた。私は周縁で、畑が変わるのに応えている。立つ場所はまるで違うのに、二人は同じことをしている。変化に、AI と応えている。
一度目のルネサンスも、同じ形だった。それまで、写本は修道院が抱え、知識は組織の管理の中にあった。印刷術が、書かれた古典を解放した。本を持つことの貴重性が消え、その古典を自分の現実に当てはめる働きが、価値になった。組織の外に、一人で読み、一人で書く個人が現れた。エラスムス。モンテーニュ。いま、AI が知識を解放した。知識を持つことの価値は消え、その知識を、変わりゆく現実に当てて応える働きが、価値になる。
入口は、低い。Markdown を書く力も、知識を抱えることも、もう要らない。既存の知識は、全部 AI が持っている。今まで、あなたを「つくる側」から締め出していたのは、その知識を持っていないことだった。だが、知識を持つ必要は、もうない。
しかし、低いのは、入口だけだ。入った先で、受け取るだけの人は、あのこだまの部屋に残る。自分で現場を見て、答えを現実に当て、ずれを直す人が、つくる側に立つ。中心に属する必要はない。AI に握られる必要もない。一人で見て、AI と回し、自分で確かめる。要るのは、その力だけだ。そしてそれは、生きてきた人、現場を持つ人の中にある。
そして、これはアプリだけの話ではない。同じ変化は、どこにでも来る。文章にも、料理にも、教える仕事にも、畑にも。古いやり方が通じなくなり、応えるしかなくなる。そのたびに、AI が、対応を速める。
私は、いまも、つくっている。あなたも、つくれる。
この文章は、NewsPicks が公開したボリス・チェルニーへのインタビュー動画「アンソロピックの『天下無双』を生んだ男」(https://youtu.be/Wi5cXICGCB0)を見て考えたことを、徳島の畑のそばから書いたものです。
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