結論
本サイトは4月25日、日本ではリン酸肥料は手に入らなくなると書いた。3か月分の事実が積み上がったいま、採点よりも役に立つ整理がある。見込みより改善したこと、見込みより悪化したこと、まだ決まらないこと ── の三つに分けることだ。
先に全体を言えば、改善の列に入ったのはモロッコの立ち直り、中国再開の兆候、日本の調達の粘り。悪化の列に入ったのは窒素と硫黄、そしてカリの巻き添え。そして春作を決める二つの変数 ── 中国国内の需給と、モロッコの製品構成 ── が、まだ動いている。
制約は消えていない。移動しながら、形を変えている。
見込みより改善したこと
モロッコが、立ち直った。 OCPは硫黄高を受けて保守を前倒しし、第2四半期の生産を約3割落とした。だが6月末までに全量生産へ復帰したと報じられている。方法が重要である。硫黄の使用が大幅に少なく、アンモニアを使わないTSP(重過リン酸石灰)へ、製品を切り替えた。 TSPはいまやOCPの肥料出荷量の65%を占める。あわせて国内でのアンモニア生産の増強と、硫黄調達先の分散を進めるという。硫黄トラップへの答えが「待つ」ではなく「作るものを変える」だった ── 製法の転換という逃げ道は、机上の話ではなく、現実に使われた。
中国の再開に、兆候が出た。 7月、中国国内の硫黄価格が反発した。理由として報じられているのはリン酸肥料の輸出クォータへの期待である ── 輸出用の製品を作るつもりがなければ、高い硫黄を買う理由がない。声明ではなく、金の動きとして出た兆候だ。市場では、MAP約150万トン・DAP約200万トンの既存クォータが7月末から8月にかけて使い切られると見られており、CRUは2026年の中国のリン肥輸出を560万トン(前年比微増)と予測している。そして尿素では、再開はもう起きている。 6〜8月分のクォータ150〜160万トンがメーカーへ直接通知され(公式発表はない)、下限価格660ドル/t FOBつきで輸出が動き出したと報じられている。国内を守りながら高値だけを取りに行く設計であり、8月のリン酸も、この型になる公算が高い。
日本の調達は、粘った。 経済安保推進法の備蓄は、塩化加里が目標の3か月分を達成し、リン安も2.4か月分まで来ていた。輸入の分散はモロッコ21%・イスラエル7%。全農は中国の1〜4月の輸出制限をパターンとして織り込んで調達している。結果、秋肥のリン酸系は+4.5〜4.9%で決着し、店頭の品切れは起きていない。
政策も動いた。 下水汚泥からのリン回収は、横浜市の実証施設が3月に完成し、国交省が4月に支援強化を発表した。4月時点の想定より、制度側の動きは速い。
ただし、注意を一つ。この列の多くは、価格の系列である。 価格は後ろを向いている ── 5月に決まった秋肥の値段は、それ以前に手当てした原料の値段だ。そして調整は、価格より先に数量で起きる(エジプトのEFICとブラジルのMosaicでは、硫黄の調達難で実際に生産が止まった)。価格の静けさを、供給の証拠と読まないこと。
見込みより悪化したこと
窒素 ── 予測の視野の外で、最大の悪化。 カタールが尿素・アンモニア・硫黄の生産を同時に止め(ラスラファンLNG施設の損傷は、修復に年単位かかる)、イランがアンモニアを止めた。ロシアでは、窒素肥料と硝酸を作るアゾト系工場への攻撃が続いている。国際価格は4月に尿素+22.7%・アンモニア+18.2%。秋肥の輸入尿素は+14.5%、国内の尿素は2024年1月の6.45万円/tから2026年3月の9.31万円/tへ。World Bankは2026年の尿素を平均で6割近く高いと見る。
ここには教訓が一つ埋まっている。殴られたのは、分散に成功していたはずの窒素だった。 尿素の中国依存は27%から3%へ落ち、いまは74%をマレーシアから買う。それでも効かなかったのは、尿素が天然ガスから作られ、価格を決めるのが中東のガス需給だからである。分散とは、相手を替えることではなく、資源を替えることだった。
硫黄 ── 経路は想定どおり、水準が想定超え。 中東の硫黄は5月末で1トン815〜820ドル。平時の50〜150ドルに対し5〜8倍である。ホルムズに加え、ロシアの輸出禁止(アストラハン施設への攻撃。同施設はロシア産硫黄の約6割)と、中国の硫酸輸出の絞り込み(460万トン→約120万トン)が重なった。
カリ ── 巻き添え。 ホルムズと直接の関係がないのに、塩化加里+7.3%・硫酸加里+7.8%と、リン酸系より上げた。他の養分の高騰が購買力を圧迫する経路と、ロシア・ベラルーシ(世界のカリ輸出の約4割)という構造が背景にある。
まだ決まらないこと
一つ目 ── 中国国内の需給。これが最重要である。 8月の再開判断は、対日関係でも国際市場でもなく、中国の国内需給で決まる。そもそも輸出停止の目的が国内供給の確保と価格の安定だった ── 国内のMAP価格は2025年5月に約3,600元/tと、3割上げた前歴がある。見るべき変数は五つ。国内価格が落ち着いているか。8〜9月の秋の作付け需要。LFP電池向けリン酸との取り合い(2026年の世界出荷見通しは580万トン。中国ではリンは電池材料としての戦略物資でもある)。硫酸コスト。そして災害である。 7月4日から華南・華中・華東を襲った豪雨(台風の残余環流と寒渦の複合)は、9日までに70人超の死者とダムの決壊を出し、山東南部と江蘇北部では倒伏と農業施設の損壊が報じられている。災害は、再開にほぼ一方向に効く。 補植と追肥で国内需要が増え、食料安全保障の政治的重みが増し、南西部のリン鉱山帯と電力(2022年に四川の渇水が化学工場の電力制限を招いた前例がある)に供給リスクが掛かる。前例はもう一つある ── 2021年10月に始まった輸出検査の強化は、7月の河南水害とエネルギー危機の秋だった。 災害の夏は、規制の秋になりやすい。ただし下限価格の型ができたいまは、全面停止よりも、クォータの縮小と下限の引き上げという形を取りやすい。先行指標は公告ではなく、中国の硫黄価格である ── 政策が出る前に、作る側が原料を買う。7月の反発が続くなら再開、腰折れするなら延長を疑う。
二つ目 ── モロッコの製品構成。 全量復帰はしたが、中身がTSPに寄った。日本がモロッコから買ってきたのはリン安(窒素入りのMAP/DAP)である。TSP(重過リン酸石灰)は日本でも使う品目なので代替は効くが、窒素の分は別に手当てが要る ── リン酸の解決が、そのぶん窒素の需要に変わる。制約の移動は、ここでも起きる。対日出荷の中身が戻るかは、OCPのアンモニア増強と硫黄分散の進み方次第だ。
三つ目 ── 春肥の順位と、為替。 春肥(11〜5月供給分)の価格は例年11月に決まる。窒素の国際価格は、4月の頂点から6月には半値近くまで戻した ── インドの入札は4月の約890ドル/tに対し、約445ドル/tで応札超過である。秋肥の+14.5%は高値局面で決まった価格で、春肥の窒素には下げ余地がある。 ただし湾岸の構造(世界の尿素輸出の36%、ラスラファンの年単位の修復)は残り、水準は平時より高い。リン酸は中国次第で振れ幅が大きい。円安が続けば、どの列にも上乗せされる。
変わっていないもの
依存の形は、何も変わっていない。 リン安の72%は依然として中国から来る。尿素の原料は依然として中東のガスである。この3か月をしのがせたのは、備蓄と分散と、中国の措置に期限があったこと ── どれも緩衝材であって、依存の解消ではない。
長期の構造も動いていない。リン鉱石の品位低下に伴う三重のコスト(カドミウム除去・硫酸の過剰消費・放射性廃棄物)。複数のモデルが2033年頃と見るピークリン。化学肥料の吸収率が1〜2%にとどまり、残りが土に固定されているという事実。そして、その固定されたリンを菌根菌が動かせるという生物学。転換の論拠は、危機の日付ではない。構造にある。
製法の逃げ道についても、一般形を書いておく。OCPのTSP転換は硫黄とアンモニアを減らすが、リン鉱石と硫酸という上流は変わらない。硫酸を使わない硝酸リン酸法(Odda法)は、リンをアンモニア ── 窒素とまったく同じ資源 ── に繋ぎ替える乗り換えであり、しかもその設備を持つロシアのアゾト系工場は、硝酸が爆薬の原料でもあるがゆえに攻撃され続けている。逃げ道は制約を消さない。移すだけである。 農家の側で唯一、どちらに転んでも効くのは、購入する肥料への依存度そのものを下げること ── 豆科の輪作、緑肥、堆肥、そして土壌微生物 ── である。
観測点
中国。 クォータの公告(商務部・発改委)と、それに先行する中国国内の硫黄価格。7月の反発が続くかどうか。
モロッコ。 OCPの製品構成(TSP比率)と、対日リン安出荷が戻るか。アンモニア増強と硫黄分散の進捗。
11月。 全農の春肥価格。窒素とリン酸の順位。
秋(9〜11月)。 実際の需給。品薄やアロケーション(割当配給)が出るか。
どちらに転んでも、結果を書く。
関連
- ブログ 日本ではリン酸肥料は手に入らなくなる ── 本稿が経過を追う予測。2026年4月25日
- リンと農業 第1章 リン酸肥料の供給制約 ── 三つの供給ルートの詳細
- リンと農業 第5章 土壌微生物という戦略 ── 遺産リンと菌根菌。構造の側の論拠
- リンと農業 第9章 キューバの教訓 ── 供給が本当に止まった国で、何が起きたか
参考
- JA全農「令和8肥料年度秋肥(6〜10月)の肥料価格について」(2026年5月15日) ── https://www.zennoh.or.jp/press/release/2026/109288.html
- Morocco's OCP to resume full output, boosts low-sulphur fertilisers (Reuters、2026年6月) ── https://www.tradingview.com/news/reuters.com,2026:newsml_L8N42P0W2:0-morocco-s-ocp-to-resume-full-output-boosts-low-sulphur-fertilisers/
- Chinese sulfur prices rebound in July on anticipation of phosphate export quotas (S&P Global、2026年7月18日) ── https://www.spglobal.com/energy/en/news-research/latest-news/fertilizers/071825-chinese-sulfur-prices-rebound-in-july-on-anticipation-of-phosphate-export-quotas
- Record Sulfur Prices Push Global Phosphate Fertilizers Into a Cost Squeeze (2026年5月) ── https://www.ihumate.com/media/articles/sulfur-price-shock-phosphate-fertilizer-may-2026
- Vapor Lock: The Global Sulfur Supply Crisis 2026 ── https://stellarix.com/insights/blogs/global-sulfur-supply-crisis/
- Drones Strike Largest Chemical Plant Nevinnomyssk Azot in Southern Russia ── https://militarnyi.com/en/news/drones-chemical-plant-nevinnomyssk-azot/
- China reopens urea exports with $660pt price floor (Profercy) ── https://www.profercy.com/insights/china-reopens-urea-exports-with-660pt-price-floor
- 中国南部で大雨 ダム決壊など被害相次ぐ 70人超が死亡 (NHK、2026年7月) ── https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015173001000
- India issues 1.7mt urea tender ahead of monsoon sowing (Fertilizer Daily、2026年5月28日) ── https://www.fertilizerdaily.com/20260528-india-issues-1-7mt-urea-tender-ahead-of-monsoon-sowing-as-domestic-production-shortfall-deepens/
- 農林水産省「肥料をめぐる情勢」(2026年4月) ── 輸入相手国と備蓄の数値