第1章 / Analysis
第1章 № 01 · 2025

気候変動対策の過ち

2026 年イラン戦争が気づかせてくれたこと

2026 年イラン戦争が気づかせてくれたこと

気候変動対策といえば、再生可能エネルギーだ。太陽光、風力、EV、水素 ── 30 年間、世界はこの方向に巨額の投資を続けてきた。

しかし 2026 年のホルムズ危機で、日本で最初に不足が顕在化したのはガソリン価格ではなかった。食品包装材の不足、医療用プラスチックの在庫逼迫、農業用フィルムの供給停止 ── エネルギーではなく、素材が止まった。続いて、化学肥料も逼迫した。原料がホルムズ海峡の向こう側にあるからだ。

30 年間の気候変動対策は、二つの根本的な問いを見落としていた。

議題 1 ── エネルギーを再生可能にしたところで、素材はどうするのか。食料はどうするのか

電力を太陽光で作れても、食品を包むプラスチックは作れない。風力で工場を回せても、化学肥料の原料は生まれない。EV が走っても、透析器の膜は製造できない。

石油から作られるナフサは、現代文明の物質的基盤を支えている ── 透析器の膜、おむつの吸水材、食品包装、医療器具、農業用フィルム、合成繊維、建築資材、自動車部品、電子機器の筐体。これらは石油を「燃やして」いるのではない。石油を「素材に変換して」いるのだ。CO2 を出さなければ解決するという話ではない。燃やさなくても、素材として必要なのだ

そして皮肉なことに、再生可能エネルギーの設備自体が石油化学に依存している。太陽光パネルの EVA フィルムとバックシート、風力タービンのガラス繊維強化プラスチックブレード、EV のバッテリー部品と軽量化プラスチック、水素の電解槽膜と炭素繊維強化プラスチックタンク ── どれも石油化学なしには作れない。再エネは石油の代替ではなく、石油の上に乗っている追加の層だ。

食料も同じ構造だ。天然ガスから作られる合成肥料(ハーバー・ボッシュ法)が世界の食料生産の約半分を支えている。再生可能エネルギーで合成肥料は代替できない。リン酸肥料を作る硫酸の原料は、石油精製の副産物として回収される硫黄だ。製油所が止まれば、核融合があっても肥料は作れない

「石油を燃やさない」と「石油に依存しない」は全く別の問題だ。 30 年間の気候変動対策は、前者しか議論していない。

素材としての石油の詳細は第一部 第2章 化石資源と現代文明、化学肥料の生産ルートとリジェネラティブ農業の解は第一部 第3章 農業の間違い で扱う。

議題 2 ── 「CO2 排出量の削減」が中心で、生態系の回復は影が薄かった

現在の気候変動対策は「CO2 排出量の削減」に集約されている。再エネ、 EV、カーボンプライシング、工業的 CCS ── 兆ドル規模の設備投資がそこに向けられている。一方、最大の炭素吸収源である 土壌と生態系 の回復は、長らく政策の死角に置かれてきた。

土壌炭素は政策の「死角」だった

過去 12,000 年間の農地拡大と森林・草原の転換で、土壌の表層から推定 約 1,100 億メートルトン の炭素が失われた ── 現在の米国の温室効果ガス排出量の約 80 年分に相当する。工業型農業の継続により、毎年 1.9〜2.4 Pg(CO2 換算 7.9 Pg) の土壌有機炭素が失われ続けている。

それにもかかわらず、初期の気候変動対策で土壌炭素は長らく軽視されてきた。最大の障壁が、京都議定書下の MRV(測定・報告・検証) の壁 だった。地上のバイオマスは衛星画像で測れるが、広大な農地や森林の土壌炭素蓄積量変化を統計的に信頼に足る精度で測ることは、コストと技術の面で極めて困難だった。2006 年時点で EU-15 のうち、「森林のままの森林」カテゴリにおける土壌炭素変動をゼロ以外の有効値で報告できたのは、ベルギー・フィンランド・イタリア・ルクセンブルク・ポルトガル・スウェーデンの わずか 6 カ国 だった。

その結果、京都議定書には 「Not-Source 原則」 が機能した ── 特定の炭素プールが排出源ではないことを「実行可能」な精度で示せない場合、そのプールの算定を除外できるルール。多くの国は土壌炭素の変動を 「ゼロ」と見なす仮定 を多用した。これが、土壌炭素貯留の潜在的な緩和効果を 長期間にわたり政策アジェンダから除外する決定的要因 となった。

LULUCF ルールは植物の役割を「会計上のトリック」化した

土地利用・土地利用変化・林業 (LULUCF) ルールは、広大な森林資源を持つ国に有利な制度設計だった。Climate Action Network は、特定の参照レベル設定が 年間最大 4 億 5,100 万トン の排出増加を許容する 「ロギング・ループホール(伐採の抜け穴)」 だと告発。自然撹乱(山火事・干ばつ・害虫被害)を「不可抗力」として算定から除外できる規定もあり、アカウンタビリティを著しく低下させた。

決定的な誤りが 2009 年の Searchinger Error だ。EU ETS や京都議定書のルールでは、バイオマス燃焼の CO2 排出は「植物が成長過程で同量を吸収する」前提で 「ゼロ」(カーボンニュートラル) として扱われていた。しかし Princeton 大学の Searchinger らが Science 誌で実証したのは、バイオ燃料原料調達のための森林破壊による莫大な炭素排出が、会計上完全に無視されている という事実だった。

初期の国際枠組みにおいて、植物の役割は真正な気候変動緩和メカニズムというよりも、各国の政治交渉ツールや目標達成のためのバッファ として利用された側面が強い。

2015 年以降:再評価とハイプの両極

長らく死角にあった土壌炭素は、2015 年のパリ協定 (COP21) を契機に注目を浴びる。フランス政府主導の 「4 パーミル・イニシアチブ」 ── 世界の土壌有機炭素ストックを毎年 0.4%(1000 分の 4) ずつ増加させれば、人為的 CO2 排出増分を相殺できる ── が転機となった。

2019 年には ETH チューリッヒの Crowther Lab が Science 誌に発表した論文で 「地球上に新たに 1 兆本の木を植える余地があり、人類の産業革命以降の排出量の 3 分の 2 に相当する約 2,050 億トンを吸収できる」 と結論。世界経済フォーラムの 1T.org 創設の契機にもなったが、直後に強い反論と科学的検証に晒された。2020 年に Crowther らは Science 誌上で訂正を発表し、新たな森林の炭素吸収量の見積もりを 初期の半分程度 に引き下げた。

科学的限界 ── 過信は禁物

第一線の土壌科学者は、4 パーミル目標と「植林ハイプ」を四つの制約で否定した。

制約 メカニズムと影響
化学量論的制約(窒素・リン) 12 トンの炭素隔離に約 1 トンの窒素が必要 → 化学肥料投入が強力な GHG である一酸化二窒素 (N2O) の排出を誘発
バイオマスの絶対不足 利用可能なバイオマス総量に物理的限界 → 一農地への集中は他から有機物を奪う「ゼロサム・ゲーム」
飽和限界 (Saturation) 蓄積速度が低下し最終的にゼロ。2100 年までの隔離ポテンシャルを最大 53% 過大評価
非永続性 (Impermanence) 耕起や環境変化で容易に分解。数年に一度耕起すれば、蓄積炭素は急速に再放出

WRI 試算では、米国全農地の 85% に被覆作物を導入しても、相殺できるのは米国総排出量のわずか 1.5%。現状の被覆作物の導入率は 4% 未満 に留まる。

IPCC SRCCL ── 「欠かせない一部」として再構築

2019 年に IPCC が発表した 「気候変動と土地に関する特別報告書 (SRCCL)」 が、過剰な期待と悲観論を整理した。各国の NDC が完全実施された場合、農業管理や土壌炭素隔離等により 2030 年時点で 0.4〜1.3 GtCO2/年 の純吸収を推定 ── 「大気中の CO2 をすべて相殺する」ハイプとは一線を画す現実的・控えめな数値だが、同時に気候変動緩和における 「欠かすことのできない重要な一部」 として土壌の地位を公式に確立した。

Griscom らの 2017 年 PNAS 論文 (Natural Climate Solutions) は、森林・湿地・草地・農地の保護・管理・回復を最大限活用すれば、 2030 年までに必要な排出削減量の 3 分の 1 以上(約 37%、最大 23.8 GtCO2 換算/年) を提供可能と示した。それにもかかわらず、陸上の炭素隔離を目的とした取り組みには、世界の気候変動緩和資金の わずか 2.5% しか投じられていない。

日本の特異な土壌資源 ── 黒ボク土とバイオ炭

日本特有の 火山灰土壌(黒ボク土、Andosols) は、世界的に高い炭素保持能力を持つ。北海道洞爺湖周辺の実証研究では、深さ 0〜30 cm 層の土壌有機炭素ストックは、アロフェン質黒ボク土で 86.4 ± 12.7 Mg C/ha に達した。アルミニウムや鉄が腐植と強固な複合体を形成するため、微生物による分解を受けにくく、長期保存に適している。

2021 年策定の 「みどりの食料システム戦略 (MeaDRI)」 は、2050 年までに化学農薬 50% 削減、化学肥料 30% 削減、有機農業を耕地面積の 25%(100 万 ha) に拡大、林業用苗木の 9 割以上をエリートツリー化を目標とする。J-クレジット制度には バイオ炭(Biochar) の農地施用による土壌炭素貯留が方法論として追加・改定された。バイオ炭は熱分解で安定化させた多孔質炭化物で、通常の土壌有機炭素が抱える「飽和限界」と「非永続性」を回避し、数百〜数千年にわたって炭素を固定し続ける

30 年間、順序が逆だった

項目 現在の気候変動対策 生態系中心の対策
焦点 CO2 排出削減 土壌・生態系の回復
手段 再エネ、EV、カーボンプライシング、工業的 CCS 土壌再生、生物多様性回復、バイオ炭
食料問題 議論の外 中核に統合
コスト 兆ドル規模の設備投資 既存の農地で実施可能
炭素固定 工業的 CCS(高コスト) 土壌微生物・バイオ炭(低コスト)
資金配分 97.5% 2.5%

なぜ、逆のままだったのか。資金の向かった先には、共通点が一つある ── どれも「買う対策」だ。パネル、タービン、EV、CCS プラント。設備を買い、更新し、買い続ける ── 対策であると同時に、恒常的な購入である。資金の向かわなかった側 ── 土壌と生態系の回復 ── は「自分の土地でできる対策」で、買い続けるものがほとんどない。売り物になる対策には、推す者がいる。売り物にならない対策には、測定の壁(MRV)のような技術的な難しさを乗り越えさせる力が働かず、壁がそのまま除外の理由として残った。 97.5% 対 2.5% という配分は、効果の比ではない。売りやすさの比 である。

土壌炭素は「魔法の杖」ではない ── 化学量論的制約や飽和限界に縛られ、これだけで人類の排出量を相殺することはできない。しかし、気候変動緩和に 欠かすことのできない一部 であり、しかも生物多様性、保水性、人類の健康(NCDs リスク低減)、異常気象に対する農業システムのレジリエンス強化という 「適応策」としての総合価値 を併せ持つ。それでも資金配分は依然として工業的解決策に圧倒的に偏っている ── これが、30 年間続いた順序の逆転である。

気候変動の答えは、テクノロジーの中だけにはない。
土壌の中にもある
自然とともにあれば、生きられる。
自然から離れるほど、生きるコストは上がる。