リン酸肥料の供給が細る。価格が上がる。慣行農法のコスト構造が崩れる。
だからといって、自給自足のユートピアを目指すわけではない。輸入を否定する わけでもない。政府の対応に期待するわけでもない。
経済の論理が指し示すのは、もっと現実的な中間の道である。
これは思想の話ではない。経済の話 である。
そして、今すぐ決断する理由がある。短期と長期、二つの制約が同時に 効いている からだ。
- 短期:中東紛争・中国輸出停止・カタール不可抗力により、2027 年、 日本ではリン酸肥料の入手が困難 になる(詳細は第1〜2章)
- 長期:ピーク・リンが 2033 年頃 に到来、低品位鉱石の三重 コストで安価な肥料は構造的に戻らない(第2章)
- 転換のしかた:リン酸肥料が入手しづらくなったら、無理に 確保しようとせず、自然農法に切り替える ── これは自然なことだ。 日本の伝統的な自然農法は工業型農業からの転換手法の知見が少ないが、 そこは Gabe Brown ら リジェネラティブ農業の方法(多種類の混植・ カバークロップ・不耕起・回転放牧など)を採用すればよい。多種類の 混植で転換すれば、土壌微生物相は約 3 年で回復 する(第5・7章)
短期と長期が同時に効くなかで、リジェネラティブ農業への移行を、 今、決断する ── これがこのシリーズの結論である。 「決断」といっても悲壮なものではない。肥料制約という構造が 指し示す自然な道に、無理なく切り替える ── という意味の決断 である。
決断の中身と裏付けは、第2章(2027 + ピーク・リン)、第3章(決断の 中身)、第4〜8章(実装)で順に展開する。
論理は単純だ
1a. 短期(2027 年〜):中東紛争・中国輸出停止により、
リン酸肥料の入手が困難になる
1b. 長期(2033 年〜):ピーク・リンと低品位鉱石の経済学により、
リン酸肥料が構造的に高価になる
↓
2. 短期も長期も、無理をして工業型農業を続ける合理性がない
↓
3. 微生物型農業に転換する(構造に従う自然な切り替え)
↓
4. ただし微生物型農業だけでは食料を全量賄えないため、
不足分は輸入で補う
四つのステップ。それだけだ。
このシリーズは、この論理を一本ずつ確認していく。
「自然と共生しよう」という呼びかけではない。「自立的な暮らしへ」という ライフスタイル提案でもない。「次世代への責任」という規範論でもない。
リン酸肥料が高くなれば、工業型農業は赤字になる。 赤字になる農法は、誰も続けられない。 ならば、土の中の微生物を使うしかない。
それだけのことを、論理で押し進める。
同じ結論に、世界中で別々の人が到達している
Christine Jones の「Light Farming」(2018)も、Gabe Brown のリジェネラティブ 農業も、福岡正信の自然農法も、Allan Savory の総合的管理も、Tony Rinaudo の FMNR(Farmer-Managed Natural Regeneration)も、Subhash Palekar の ZBNF (Zero Budget Natural Farming)も。
地域も時代も使う言葉も違う。共通するのは、外部入力に依存する農業は採算が 合わなくなる、土壌の生物機能に頼るしかない、という経済的帰結に到達した ことだ。
Gabe Brown 自身、「破綻寸前で偶然この道に追い込まれた」と書いている。 ロマンで動いたのではない。1990 年代に四年連続の天候被害でローン返済が 滞り、化学肥料を買えなくなった。その状況で生き残るために、土の力に 頼る農法を発見した。経済が、農法を決めた。
リン酸肥料が高価になる時代に、世界中で同じ農法が再発見されている。 これは偶然ではない。経済合理性が、同じ場所を指し示している。
このシリーズの構成
第 1 章では、いま起きているリン酸肥料の供給制約を、サプライチェーンの 構造から確認する。
第 2 章では、これが一時的なショックではなく、長期的な高価格時代の入口で あることを示す。
第 3 章では、リン酸肥料が高くなった世界で工業型農業のコスト構造がどう 崩れるかを、経済の論理だけで描く。
第 4 章では、この危機への典型的な処方箋 ── 政府への期待、輸入の否定 ── の両方と距離を取り、現実的な中間の道を提示する。
第 5 章では、肥料が買えない世界で植物に養分を供給する方法は何か、消去法 で土壌微生物に行き着く論理をたどる。
第 6 章では、CO2 濃度の上昇が ── 別の問題としては深刻だが ── 微生物型 農業にとっては追い風として働く構造を確認する。
第 7 章では、具体的な実践として、福岡正信の 一反百姓 という規模と、 日本に 42 万ヘクタールある 耕作放棄地 という資源を扱う。
第 8 章では、運用の原理 ── なぜ「やらない」が合理的か、無除草と多様性、 病害虫が出にくい仕組み、観察と記録 ── を整理し、シリーズを閉じる。
このシリーズが採らない立場
論を進める前に、本シリーズが 採らない 立場を明示しておく。
| 立場 | 理由 |
|---|---|
| 慣行農法を続ける | 経済的に成立しなくなるから |
| 政府の政策に期待する | 政府にできることが構造的に限定的だから |
| 輸入を否定する・悲観する | 輸入は機能し続けるから |
| 微生物型農業で完全自給する | 規模的に不可能だから |
| 微生物型農業 + 輸入補完 | 経済合理性が指し示す中間 |
最後の行が、本シリーズの位置である。
「政府が無策だ」と批判しても、自分の食卓は守れない。 「輸入が止まれば飢える」と煽っても、世界の食料市場は機能し続ける。 「微生物型農業ですべて自給する」と宣言しても、規模が追いつかない。
淡々と、経済合理性が指し示す中間の道を歩む ── それだけである。
思想ではない。倫理でもない。ロマンでもない。 リン酸肥料が高くなる、それだけで全部が決まる。
次章から、その論理を一本ずつ確認していく。