第3章で、工業型農業を「これまでどおり」続けることはできない、と 結論した。
ではどこに行くか。 ここで、議論はしばしば 複数の極端 に振れる。
- A:政府がなんとかすべきだ ── 補助金、価格保障、貿易交渉で 慣行農業を守り、国内増産で食料自給率を向上させる、という立場
- B:完全自給を目指すべきだ ── 海外依存をやめ、日本だけで 食料をまかなえる体制を作る、という立場
- C:工業型農業を完全に放棄せよ ── 化学肥料・農薬・近代農業 技術そのものを否定し、即時に有機農業・自然農法へ全面転換せよ、 という立場
これらは、それぞれ強い問題提起と論理を持っている。食料安全保障 の脆弱性、国内農業の崩壊、化学肥料依存の限界 ── 診断としては多くが 正しい。本シリーズの第1〜3章で見てきた事実とも整合する。
しかし、それぞれが提案する解決策(処方箋)は、肥料制約という 物理的制約の前ではいずれも空論 になる。本章では、
- エネルギーベースの食料自給率を国内増産で向上させる という 処方箋の困難
- 日本型循環畜産 で輸入飼料からの脱却を図る処方箋の困難
- 工業型農業の即時完全放棄か温存か という二項対立そのものが 無意味であること(肥料制約のもとで工業型農業は自動的に終わる)
を確認し、その上で本シリーズが立つ **「中間の道」── 国内のリジェネ ラティブ農業への段階的移行 + 国際的なリジェネラティブ農業の推進
- 再分散された世界供給網からの輸入補完** を提示する。
4.1 エネルギーベースの食料自給率を向上させるのは困難
最近の議論では、しばしば次のような処方箋が提案される。
- カロリーベース食料自給率は 38%(先進国で最低水準)
- 減反政策を即時撤廃し、主食米・麦・大豆への増産シフトで自給率を 49% まで向上 させる
- 「日本型直接支払い」(欧米型の所得補償制度)で農家を価格変動から 守る
- 飼料用米の活用で飼料の海外依存から脱却
これらの提案の 問題提起の部分 は、本シリーズの主張と多くの点で 重なる。日本の食料供給体制が脆弱であり、市場原理だけでは農業基盤 が維持できない、という認識は共通している。
しかし、エネルギーベース(カロリーベース)の自給率を国内増産で 向上させる という処方箋そのものには、構造的な困難がある。
困難 1:化学肥料・エネルギーは構造的に国内自給化できない
第1章で見たとおり、
- 化学肥料原料の自給率は ほぼ 0%
- リン酸肥料の原料は全量輸入
- 窒素肥料の原料(天然ガス)も輸入依存
- カリ肥料はカナダ・ロシア・ベラルーシからの輸入
- 化学肥料製造に必要な硫黄は中東石油精製の副産物
- 農機の燃料、ハウスの暖房も化石燃料 → 中東依存
つまり、
食料自給率を上げるためには、肥料・エネルギー自給率を上げる必要 がある。 しかし肥料・エネルギーは、第1章・第2章で見たとおり、構造的に 国内自給化できない。
「米を増やして麦を代替する」「飼料用米を増やして輸入トウモロコシ を代替する」── この方向は、食料の数字だけ見れば自給率が上がる。 しかし その米を作るために必要な肥料・燃料・農機は、依然として 輸入に依存 する。
「生産資材の起源を無視した食料自給率の議論は、欺瞞である」 ── 第3章で見た本シリーズの論点と整合する。
国内増産シフトを進めれば進めるほど、輸入肥料・輸入エネルギーへの 依存量がむしろ増える、というパラドックスに陥る。
困難 2:価格構造の硬直性 ── 国内価格は世界価格に追従しない
「直接支払い制度で農家を価格変動から守る」という提案も、第1章で 見た 国内小売価格の硬直性 という問題に直面する。
| 年 | 過リン酸石灰小売価格(20kg) | 世界複合肥料価格 |
|---|---|---|
| 2020 | 1,800 円 | 平時 |
| 2022 | 3,400 円(ピーク) | 815 ドル/トン |
| 2024 | 2,900 円 | 327 ドル/トン |
世界価格は 2022 年ピークから 半値以下に下落 したが、国内価格は 高止まりしている。主因は 円安 と メーカー在庫の消化タイム ラグ。直接支払い制度を整備しても、この為替・市場構造は変わらない。
困難 3:財政の制約
直接支払いを欧米並みの水準で本格的に導入するには、年間 数兆円規模 の予算が必要になる可能性がある。
日本の財政状況、人口減少、社会保障費の自然増、防衛費の増額 ── これらと の予算獲得競争の中で、農業予算をこの規模で持続的に拠出する余裕が あるかは、極めて不透明である。
結論:数字としての自給率向上は、解決の核心ではない
「カロリーベース食料自給率を 38% から 49% へ」という目標は、診断 としての問題提起の重要性を否定するものではない。しかし、それを 達成しても日本の食料安全保障は本質的に強化されない(肥料・燃料は 輸入のまま)。
問題は数字の自給率ではなく、サプライチェーン全体の構造 である。
4.2 日本型循環畜産は、肥料制約下では成立しない
もう一つよく提案される処方箋が、「日本型循環畜産(資源循環型農業)」 である。
- 輸入飼料(トウモロコシ等)への過度な依存から脱却
- 国内の水田をフル活用して 飼料用米 を生産
- それを鶏・豚・牛などの畜産飼料として給与
- 家畜排せつ物を堆肥として水田に還元
- 「お米で育った卵や豚肉」の普及
理念としては美しい。しかし、肥料制約下の日本では、このモデルは 構造的に成立しない。理由は三つある。
困難 1:「飼料用米」を作る余裕がない ── 食用米すら不足する
このモデルの核心は、水田で飼料用米を生産 することである。しかし ここに最大の構造的問題がある。
- 化学肥料原料の自給率はほぼ 0%(第1章)
- 中国の輸出停止、ホルムズ海峡の物流麻痺、PFAS 規制 ── 三つのルート が同時に細る
- リン酸肥料は構造的に高止まりし、量も細る
肥料が大幅に減る局面で、限られた肥料投入と限られた農地から得られる 米は、まず食用に回さなければならない。
食用米すら不足しかねない状況で、わざわざ水田を 飼料用米 に 割く余裕は、日本にはない。
実際、令和の米騒動(2024〜2025 年)では、政府が当初備蓄米の放出を 否定するほどの品薄が露呈した。これは肥料が 平時水準で投入されて いる 状況下での話である。肥料が本格的に細れば、稲作の単収は さらに下がる。水田は食用優先で奪い合う対象 になる。
「水田をフル活用して飼料用米を作り、それで畜産を支える」という モデルは、「肥料は十分にある」という前提に立っている。前提が 崩れれば、モデルは成立しない。
困難 2:草だけで畜産は成立しない ── 草地面積の物理的限界
「ならば配合飼料に頼らず、牧草中心で畜産すればよい」という発想も 出てくる。実際、放牧型・草地中心の畜産は、リジェネラティブ農業の 重要な要素である(Allan Savory の総合的管理など、第6章で詳述)。
しかし、日本の地理的条件では、これにも限界がある。
牛 1 頭を草だけで飼育するには、約 1 ヘクタール以上の牧草地が 必要 とされる
[要検証:北海道酪農の標準]。
日本の全国耕地面積は 423.9 万 ha(2025 年、第7章で詳述)。仮に 全耕地を牧草地に転換したとしても、
- 飼える牛は約 400 万頭 が上限
- 国内の飲食用牛肉・牛乳需要を草地放牧だけで満たすには、現状の 耕地のほとんどを牧草地に転換 しなければならない計算になる
- それでは作物(米・麦・豆・野菜)を作る土地がなくなる
1 経営体当たりの平均耕地面積は 3.6 ha(都府県では 2.6 ha)── 草 だけで飼える牛は 数頭が上限。これは「全国民の食料供給を支える 畜産」のスケールには遠く及ばない。
加えて、棚田・段々畑が多い日本の地形では、牧草地として連続的に 活用できる土地が限られる。北海道の一部以外、草地中心畜産が 大規模に成立する地形条件がそもそも乏しい。
困難 3:配合飼料がなければ、数羽の鶏・数頭の豚も維持できない
「自給規模なら成立する」と一見思える、家族用の数羽の鶏・数頭の豚 も、構造を見ると同様の困難に直面する。
- 鶏(産卵鶏)は、配合飼料(主に穀物)を体重比で日常的に必要とする
- 豚は、雑食性とはいえ、本格的に育てるには穀物飼料が必要
- 残飯・野菜屑だけで数十羽・数頭を維持するのは、絶対量で足りない
- 自給用に育てるとしても、穀物飼料が安く手に入る 前提が崩れて いる
家庭の生ごみ・残飯で 数羽の鶏 を養う ── このレベルなら、肥料 制約下でも可能である。しかしこれは「畜産」と呼べる規模ではなく、 動物性たんぱくの主要供給源にはならない。
結論:日本型循環畜産は、現代の食料供給戦略にはなり得ない
整理すると、
| 要素 | 肥料制約下での実態 |
|---|---|
| 飼料用米の水田生産 | 不可能 ── 食用米すら不足するため、水田は食用優先 |
| 草地中心の大型家畜 | 限定的 ── 牛 1 頭につき 1 ha 必要、日本の耕地面積では国民需要を支えられない |
| 配合飼料に頼る家畜(豚・鶏) | 困難 ── 穀物飼料の安定供給が前提だが、その前提が崩れている |
| 家族用の数羽の鶏(残飯飼育) | 可能だが、戦略として食料供給を支える規模ではない |
つまり、
日本型循環畜産は、思想としては魅力的だが、肥料制約下の日本に おける食料供給戦略としては成立しない。 畜産そのものが、本シリーズの想定する時代には、現状から大幅に 縮小する方向にしか動けない。
含意:動物性たんぱくは、海産物・植物性たんぱく・「輸入リジェネラティブ肉」へ
これは、食生活そのものへの含意を持つ。
肥料制約下の日本では、動物性たんぱくの主要供給源は、
- 海産物(漁業 ── これも別の制約があるが、農業肥料制約とは 独立)
- 植物性たんぱく(大豆製品 ── 味噌、納豆、豆腐、醤油 ── は マメ科の窒素固定で肥料に依存しにくい、第5章)
- 国内の少量の家畜(山間部の放牧、家庭の数羽の鶏など、超小規模・ 局所的)
- 輸入のリジェネラティブ放牧肉(後述)
- 保存食(干物、漬物、発酵食品 ── 季節変動を緩衝)
「日本でできない畜産」は、できる国でやってもらう
ここで、本シリーズの戦略の核心が現れる。
日本の地形・耕地・肥料制約のもとで国内畜産を維持しようとすれば ないものねだりになる。 ならば、草地畜産が地形的・気候的に成立する国 ── オーストラリア、 米国(中西部・ロッキー山麓)、ニュージーランド、ブラジル、アル ゼンチンなど ── で リジェネラティブ放牧 をやってもらい、その 牛肉・羊肉・乳製品を輸入で補えばよい。
これは「弱腰の輸入依存」ではなく、世界全体での比較優位の合理的な 分業 である。
- 豪州・米国は、地理的に草地畜産に向いている:広大な平原、相対 的に低い人口密度、機械化との両立可能性
- Allan Savory の総合的管理(Holistic Management) は、すでに これらの国で実証されている(母牛死亡率 5% → 1%、牛乳生産性 2.5 倍、 第6章)
- Gabe Brown のような農場 は、不耕起穀物 + カバークロップ + 回転放牧を統合して、化学肥料と農薬の使用を激減 させながら 畜産経営を黒字化している
- これらの牛肉・乳製品は、世界市場ですでに流通している
日本が 「リジェネラティブ畜産物の購入大国」 になることは、
- 国内で物理的に不可能な畜産を諦めることで、貴重な耕地を 食用 作物の生産 に集中できる
- 国際市場でリジェネラティブ農法の経済的需要を作り、世界全体の 畜産がより持続可能な方向に動く後押しになる
- 結果として、輸入元の 長期持続性も高まる ── 短期的な化学肥料 依存型畜産より、リジェネラティブ放牧の方が肥料制約下で頑健
戦後の食生活は、輸入飼料に支えられた 毎日のように肉・乳製品を 食べる消費構造 を前提にしてきた。肥料制約下では、これは 和食の 基本構造 ── 米と魚と豆と野菜を中心とし、肉と乳製品はそれほど毎日 は食べない ── に 近づいていく。
「特別なときだけ」という極端な制限になるわけではない。単に、毎日 の主役 ではなくなる、という穏やかな変化である。週に数回、季節の 楽しみとして、あるいは栄養バランスの観点から、肉や乳製品を食べる ── そのスタイルが標準になる、という程度のシフトだ。
加えて、量が減る分、リジェネラティブ放牧の輸入肉が選択肢として 入ってくる(グラスフェッド・無ホルモン・無抗生物質などの基準を 満たすことが多い)。量を多少抑え、質を保つ 方向への自然な調整 である。
これは栄養面では問題にならない(第3章でも触れた、戦時英国の 配給制下で栄養状態が改善した事例と同じ構造)。「量と質の組み合わせ」 が緩やかに調整される だけである。飽食時代の生活習慣病の観点から 見ても、過剰でなくなる方向は望ましい側面もある。
日本型循環畜産という処方箋に依存するのではなく、畜産そのものの 役割を縮小し、植物性たんぱくと海産物を中心に据え、不足分は リジェネラティブ放牧の輸入肉で補う構造 に再編するしかない。 これが肥料制約と日本の地理が同時に指し示す方向である。
4.3 工業型農業は「選択」ではなく自動的に終わる ── 真の論点は移行管理
A(政府介入で慣行農業を温存)、B(完全自給)とは別方向の極端と して、C:化学肥料・農薬を即時否定し、有機農業・自然農法に全面 転換せよ という立場もある。
この立場は、
- 化学肥料の構造的高騰を批判する点で本シリーズの第1〜3章と重なる
- 微生物型農業へのシフトを推奨する点でも一致する
しかし、「即時の完全放棄か、温存か」という二項対立そのものが、 現実の構造を見誤っている。
工業型農業を「続けるか/やめるか」を選ぶ余地はない
なぜなら、
リン酸肥料が輸入できなくなる以上、工業型農業はそもそも続け られない。
第1章で見たとおり、
- 中国の輸出停止(2026 年 3 月〜)
- カタールエネルギーの不可抗力宣言とホルムズ海峡の物流麻痺
- 下水汚泥回収の PFAS 規制による短期実用化困難
という三つのルートが同時に細る。日本の化学肥料原料の自給率はほぼ 0%。肥料が来なくなれば、慣行農業は自動的に維持不能になる。
これは「選択」ではなく 構造的不可避 である。
つまり、
- A(政府介入で温存)── 肥料が物理的に来ないので、補助金では買えない
- B(完全自給)── 肥料も土地も足りない
- C(即時完全放棄)── 放棄するか否かを選ぶ余地もない、自動的に終わる
三つとも、肥料制約という物理的制約の前では空論 になる。
残された問題は「移行をどう管理するか」だけ
工業型農業の終焉が選択ではなく自動的に起きる以上、議論すべき真の 論点は、
その不可避の移行を、食料危機を招かずにどう管理するか
である。
ここで重要な事実がある。「短期的な収量の崩壊(short-term yield collapse)」は、避けられない宿命ではない。
- 単一作物のまま化学肥料だけを抜く → 収量崩壊
- 多種類の混植(イネ科 + マメ科 + 強靭な作物 + 多様な被覆作物) で転換 → 約 3 年で土壌微生物相が回復し、収量も回復
- 肥料制約 → 工業型農業の自動的縮小
- 移行期(3 年〜)の食料供給は、輸入と精密農業の橋渡しで補う
- → 移行管理を「方法を選んで」進めるか、「無計画に」進めるかが 現実の論点になる
つまり、「即時放棄論」も「温存論」もどちらも空論である。残された 論点は、
多種類の混植による段階的転換を、いつ・どう始めるか
という実装の問題である。
移行管理の三つの要素
不可避の移行を食料危機なしに進めるには、三つの要素を組み合わせる。
要素 1:精密農業による「橋渡し」
化学肥料が完全に来なくなる前の数年間、限られた肥料を最大効率で 使う。精密農業(可変施肥、徐放性肥料、AI 病害虫検出)は、化学 肥料を抜くペースを管理する 橋渡しのツール として有効である。
ただし、第3章で詳述したとおり、これは「壊れたパラダイム内での 限界的最適化」に過ぎない。物理的サプライチェーン制約は依然として 効くし、プラットフォーマーへの利益吸い上げ、生物的マイニングへの コスト劣位という問題が残る。
精密農業は、移行期の数年〜十数年を切り抜けるためのツール で あって、目的地ではない。
要素 2:輸入による「移行期の食料供給確保」
国内の生産量が落ちる移行期間中、不足分は輸入で補う。第4.4 節で 詳述する 「国際リジェネラティブ × 輸入」 の戦略がここで効く。
要素 3:国内のリジェネラティブ農業への段階的移行
時間をかけて土壌生態系を回復させ、生物的マイニング型の自律システム へ移行する。第5〜8章で詳述する。
工業型農業を 「捨てる」のではなく「終わらせる」。 終わらせるペースは、土壌生態系の回復速度に合わせて。 その間の食料供給は、精密農業の効率化と輸入で補う。 これが移行管理の核心である。
4.4 では、どこに立つのか ── 三つの戦略の組み合わせ
A(政府介入で温存・自給率向上)、B(完全自給)、C(即時完全放棄) ── どれも、肥料制約という物理的制約の前では空論になる。
立ち位置を一文で言えば、こうなる。
国内では小規模なリジェネラティブ農業へ段階的に移行する。 同時に、リジェネラティブ農業を国際的に推進し、世界の主要産地が 化学肥料制約下でも持続可能な生産を続けられるよう促す。 不足分は、その再分散された世界供給網から輸入で補う。
戦略 1:国内 ── 段階的なリジェネラティブ農業への移行
第5章で詳述する 生物的マイニング ── 菌根菌+蓄積リン+強靭な 作物の自律型システム ── は、
- 化学肥料依存を構造的に減らせる
- ランニングコストが構造的に低い
- 土壌・気候の条件次第で十分な生産性
- 個人・家族・地域コミュニティのスケールで実装可能(第7章)
ただし、これは 小規模分散型 であり、戦後の工業型農業の生産量 を一気に置き換えることはできない。一反百姓・耕作放棄地再生・ ベランダ菜園・市民農園 など、複数のスケールが積み上がって、社会 全体として食料生産を支える(第7章で詳述)。
化学肥料を抜くスピードは、多種類の混植 で土壌微生物相の回復速度 を加速できる(混植による転換で約 3 年)。精密農業の手法は 移行期 の橋渡し として限定的に活用する。
戦略 2:国際 ── リジェネラティブ農業の世界的推進
世界の食料生産を支える主要平野(米国中西部、ウクライナ、ブラジル、 カナダ、豪州)においても、化学肥料制約の構造は共通している(第1章 ・第2章・第7章で詳述)。
幸い、世界各地で リジェネラティブ農業による大規模生産 が、 すでに実証されている。
- Gabe Brown(ノースダコタ):不耕起+カバークロップで 20 年 以上、SOM(土壌有機物)を 1.7% → 11% へ
- オーストラリア:全小麦面積の 8 割超が不耕起栽培
- アルゼンチン・ブラジル:大規模な不耕起大豆経営
- Allan Savory(総合的管理):放牧で母牛死亡率 5% → 1%、牛乳 生産性 2.5 倍
- Tony Rinaudo(FMNR):ニジェール 50,000 km² の土地を再生、 2 億本以上の樹木が育つ
- Christine Jones(液状炭素経路):根浸出物経由の炭素固定が 地上部由来の 5 倍以上
これらは、化学肥料依存を世界規模で削減しつつ、機械化された大量 生産を維持する ことが可能であることを実証している。本シリーズ が示す「目的地」は、世界共通である。
日本にできることは、
- 国内での実践(規模は小さくても、知見の蓄積)
- 国際的な対話・研究協力・技術支援
- リジェネラティブ農産物への市場需要(輸入での選好)
- 国際機関・条約への政策的支持
を通じて、世界全体がこの方向に動くことを後押しする ことである。
戦略 3:輸入補完 ── 再分散された世界供給網から
世界がリジェネラティブ農業へ移行することで、
- 主要産地の 長期持続性 が確保される(化学肥料制約に強くなる)
- 輸出余力が 構造的に安定 する(現行の工業型より頑健)
- 価格変動の振幅が 抑えられる(土壌が緩衝材となる)
- 地政学的ショックへの 耐性が増す(大規模単一作物依存から脱却)
日本は、この 国際的に再分散・持続化された食料供給網 から、不足 分を輸入で補う。閉じた完全自給を目指すよりも、世界全体の食料 生産が頑健になる方向に投資する ほうが、長期的な食料安全保障に 資する。
重要な品目別の比較優位
輸入で補うべき品目は、日本の地形・気候・人口密度の制約上、国内 で大規模生産することが構造的に不適切な品目 である。
| 品目 | 日本での制約 | 適した産地 | 戦略 |
|---|---|---|---|
| 穀物・大豆(機械化・コンバイン収穫) | 棚田・段々畑、1 経営体 3.6 ha では大規模機械化が不可 | 米国中西部、ウクライナ、カナダ、豪州 | 当面の主要輸入。世界がリジェネラティブ移行すればさらに頑健に |
| 牛肉・羊肉・乳製品(草地畜産) | 牛 1 頭につき 1 ha 必要、地形が連続草地に不向き | 豪州、米国(中西部・ロッキー山麓)、ニュージーランド、ブラジル、アルゼンチン | リジェネラティブ放牧で生産された輸入肉に依存 |
| 油糧作物(ナタネ・ヒマワリ等) | 機械化・規模の経済が必要 | カナダ、欧州、米国 | 工業用・食用とも輸入 |
つまり、「日本でできない畜産」は、できる国でやってもらう。 これは戦略的撤退ではなく、世界規模での比較優位の合理的な分業 である。
日本の貴重な耕地と労働力は、日本でしかできない作物の生産 ── 米、伝統野菜、果樹、大豆製品、雑穀、地域固有のリジェネラ ティブ作物 ── に集中する。 草地畜産は、それが地理的に成立する国に任せる。
三つの戦略の組み合わせ
| 戦略 | 役割 | 対象 | 時間軸 |
|---|---|---|---|
| 国内リジェネラティブ移行 | 小規模分散型の食料生産、土壌再生、地域強靭性 | 一反百姓、耕作放棄地、ベランダ菜園、地域コミュニティ | 多種類の混植で約 3 年で立ち上げ、その後継続的に成熟 |
| 国際リジェネラティブ推進 | 世界全体の食料生産を化学肥料制約に強い構造に | 主要産地(米国、ウクライナ、豪州、ブラジル、カナダ、NZ、アルゼンチン) | 数十年単位で世界共通の進行 |
| 輸入補完 | 「日本でできないもの」を、「できる国」から | 穀物・大豆・牧草由来製品(乳製品)・草地畜産による牛肉/羊肉 | 当面継続、世界の移行進展で安定化 |
この三つの組み合わせが、本シリーズが立つ 「現実的な立ち位置」 である。
どの戦略単独でも食料安全保障は実現しない。 国内 × 国際 × 輸入の三本柱を、時間軸で組み合わせることが、 構造的に成立する唯一の解である。
4.5 穀物の用途配分という冷酷な事実
ここで、しばしば見落とされる重要な事実を一つ示す。
世界で生産される穀物は、人間がそのまま食べているわけではない。
用途別に大きく異なる配分になっている [数値は要検証]。
| 穀物 | 食用(直接) | 飼料 | 工業用(エタノール等) |
|---|---|---|---|
| トウモロコシ(米国) | 約 10% | 約 36% | 約 40%(エタノール) |
| 大豆(世界) | 約 6% | 約 75〜77%(油糧種子由来ミール) | 残り(油・工業用) |
| 小麦(世界) | 約 65〜70% | 約 20% | 残り |
この表は、人間が食料不足だから穀物が足りないのではない ことを 示している。
世界には、人間用の食料が足りなくなる前に、
- バイオエタノール用に回されているトウモロコシ
- 飼料として家畜に食わせている穀物
が大量にある。極端に言えば、世界の食料供給の余裕は、家畜の頭数を 減らせばかなり吸収できる ということだ。
これは精神論ではなく、数字の話である。
戦時の英国を見ればよい。第二次大戦中、英国は配給制を敷き、輸入が 制限される中で 国民の栄養状態を改善 した(平時の労働者階級より、 戦時の配給生活のほうが栄養バランスが良かった、という有名な事実が ある)。
なぜか。家畜用の穀物を人用に回し、肉を減らし、野菜・穀物を増やした からだ。供給制約下では、人類は実は柔軟に食料を確保できる。
食料が足りないのではない。 飼料・燃料・嗜好品に回している分が、まだまだ大きい。
これは「肉を食べるな」という規範論ではない。有事の調整余地は十分 にある という事実の確認である。
4.6 不足分は輸入で補う ── 自給率 100% を目指さない
この用途配分の事実から、次の判断が出てくる。
日本は完全自給を目指す必要はない。
世界の穀物供給は、家畜飼料・バイオ燃料を含めれば、まだ余裕がある。 日本が完全自給を放棄しても、価格が上がるだけで、食料が来ないと いう状況にはなりにくい。
問題は「輸入できないこと」ではなく、「輸入価格が上がること」である。
そして、価格が上がれば、人類は調整する。米国はトウモロコシをエタノール からシフトさせるかもしれない。ブラジルは大豆の用途を変えるかもしれ ない。中国は飼料用穀物の輸入を増やすかもしれない。世界市場は、 価格を通じて調整される。
日本が払える限り、輸入は続く。これが現実だ。
問題は、払えるか である。そしてここで、第3章で見た「工業型農業 の収支が崩れる」という話が効いてくる。
国内の農業が成立しなくなれば、輸入依存が深まる。輸入価格が上がる 中で、輸入依存が深まれば、食費が高騰する。これは家計に効く。
だから、
- 完全自給は目指さない(物理的に無理、かつ世界には余裕がある)
- しかし国内生産はできるだけ維持する(輸入価格高騰のヘッジ)
- 国際的なリジェネラティブ推進 で、輸入元の長期持続性を確保する
この組み合わせが、現実的な立ち位置だ。
4.7 化学肥料に依存しない農法に段階的に移行する
国内生産を維持するために、何を変えるか。 化学肥料への依存を切り離す ことだ。
第1章・第2章で見たとおり、化学肥料は構造的に高騰する。これに依存 した農法は、第3章で見たとおり、収支が成立しない。
依存を切り離す方法は、一つしかない。 土壌微生物の働きを使う農法に移行する。
これは精神論ではない。化学肥料がやっていた仕事(窒素固定、リン可給 化、ミネラル循環)を、土壌中の微生物にやらせる、という 代替戦略 である。
これを科学的に裏付けるのが、第5章で見る Christine Jones らの研究で ある。土壌微生物 ── 特に菌根菌 ── は、植物が必要とする窒素・リン・ ミネラルの大部分を、化学肥料なしで供給できる、ということが分かって きている。
化学肥料が高くなるなら、化学肥料を使わない農法に移ればよい。 ただし「精神」で移るのではなく、「科学」と「経済」で移る。
これがこのシリーズの中核的な主張である。
立ち位置の要約
| 軸 | 私たちの立場 |
|---|---|
| 国内増産での自給率向上 | 数字としては正しいが、肥料・エネルギー輸入依存を温存するため、本質的解決にはならない |
| 日本型循環畜産 | 肥料制約下では成立しない。食用米すら不足する状況で飼料用米を作る余裕はなく、草地は牛 1 頭につき 1 ha 必要で物理的に足りず、配合飼料がなければ豚・鶏も維持できない。畜産そのものが大幅に縮小する方向にしか動けない |
| 完全自給 | 目指さない。物理的に無理であり、世界市場の余裕も使う |
| 工業型農業の温存/完全放棄 | どちらも選べない。肥料が来ない以上、工業型農業は自動的に終わる。問題は「終わるかどうか」ではなく「移行管理」 |
| 国内農法 | リジェネラティブ農業への段階的移行。精密農業は移行期の橋渡しに限定 |
| 国際協調 | リジェネラティブ農業の世界的推進を支持し、再分散された世界供給網に投資 |
| 輸入 | 補完として継続。特に草地畜産(牛肉・羊肉・乳製品)は、豪州・米国・NZ 等のリジェネラティブ放牧から輸入する ── 比較優位の合理的な分業 |
| 倫理・思想 | 中心ではない。経済・物理・生物学が決める |
これが、極端な立場のいずれにも組みしない、本シリーズの現実的な 立ち位置である。
次の第5章では、この 「リジェネラティブ農業に段階的に移行する」 という戦略の核心 ── 土壌微生物による生物的マイニング ── が、 なぜ可能で、どういう仕組みで成立するのかを、Christine Jones らの 研究をもとに具体的に見ていく。
参考資料
穀物用途配分・歴史的事例
- USDA "Feed Grains Database"(米国トウモロコシ用途別配分)
- 戦時英国の配給制と栄養状態に関する歴史研究
国際リジェネラティブ農業の実証
- Gabe Brown "Dirt to Soil: One Family's Journey into Regenerative Agriculture"(ノースダコタ州、SOM 1.7% → 11%)
- オーストラリア政府農業省 ── 全小麦面積の 8 割超が不耕起栽培
- アルゼンチン・ブラジル ── 大規模な不耕起大豆経営の事例
- Allan Savory "Holistic Management: A New Framework for Decision Making" ── 母牛死亡率 5% → 1%、牛乳生産性 2.5 倍 ha/年
- Tony Rinaudo(World Vision) FMNR(Farmer-Managed Natural Regeneration)── ニジェール 50,000 km²、2 億本以上の樹木再生
- Christine Jones "Light Farming: Restoring Carbon, Organic Nitrogen and Biodiversity to Agricultural Soils"(2018)
日本農業の構造データ
- 農林水産省 統計(2024-2025 年度)── 全国耕地面積 423.9 万 ha、 1 経営体当たり経営規模 3.6 ha(都府県 2.6 ha、北海道 33.7 ha)
- 日本酪農の生乳廃棄実態に関する報道記事(2025 年)