SIer に発注するために顧客が払う手間 ── 要件定義、ベンダー選定、 契約、管理、検収 ── は、AI ネイティブに自分で作るのと同じ量、 あるいはそれ以上の労力を消費する。同じ手間で、自分で作れる。
第5章で、顧客自身がビルダーになれること、9 割を自分で作れること を示した。本章はその裏面 ── なぜ「SIer に頼んで楽になる」が幻想 なのか ── を、委託プロセスの工程に分解して見ていく。
外注のコストには、ベンダーへの支払い以外に、顧客側で見えにくい コストが積み上がる。これが本章の中心だ。
SIer 委託モデルは、見える以上に長い工程を持つ
SIer 案件を一つ動かすには、こういう工程が要る:
- 要件定義 / RFP 作成 ── 顧客側で数週間〜数ヶ月。何を作るか、 どのレベルで作るか、外部に出せる形に整理する作業
- ベンダー選定 ── 複数社の提案を取り寄せて比較、数週間〜数ヶ月
- 契約交渉 ── 法務、調達、SI 側との折衝、数週間
- プロジェクト管理 ── 案件期間中ずっと続く、顧客側 PM + SIer 側 PM の二重体制
- 検収・受入テスト ── 納品物が要件を満たすかの確認、数週間
- 運用保守の引き継ぎ ── 仕様の口頭伝達、ドキュメント授受、継続
「ベンダーに頼んで終わり」ではない。顧客側にも、案件期間にわたって 継続的な作業が発生する。これは小規模案件でも、巨大案件でも同じ ── 工程の各段に、顧客内部の担当者が張り付かなければ案件は動かない。
(顧客内: 数週間〜数ヶ月)"] S2["ベンダー選定
(顧客内: 数週間〜数ヶ月)"] S3["契約交渉
(顧客内 + SIer: 数週間)"] S4["プロジェクト管理
(顧客内 + SIer: 案件期間中)"] S5["検収・受入テスト
(顧客内: 数週間)"] S6["運用保守の引き継ぎ
(顧客内 + SIer: 継続)"] S1 --> S2 --> S3 --> S4 --> S5 --> S6 end subgraph AI["AI ネイティブの工程"] direction TB A1["顧客 + AI で要件と設計
(数日〜数週間)"] A2["AI が実装
(数日〜数週間)"] A3["評価・統合
(継続)"] A1 --> A2 --> A3 end classDef good fill:#e8f5e9,stroke:#7a9a6d,color:#3a4d34 classDef bad fill:#fef3e7,stroke:#c89559,color:#5a3f1a class AI good class Sier bad
社内担当者の「見えない工数」が本体だ
委託コストの議論で見落とされやすいのが、顧客側の社内工数だ。
SIer に払う金額は契約書に書いてある。だが、案件を回すために顧客の 中で誰かが投じている時間は、契約書には書かれない:
- 情シスの担当者が要件をまとめる時間
- 関係部署にヒアリングする時間
- ベンダー提案を読み比べる時間
- 内部承認を通すための説明資料の作成
- 月次会議、ステコミ、進捗報告への参加
- 検収判断の責任を負う管理職の時間
- 仕様変更が発生したときの調整
これらは「人件費」として勘定書に乗らない。だが、実際に消費されて いる。情シス部の人員、関係部署の管理職、決裁権者 ── 案件のたび に、それぞれが少なくない時間を投じる。
経験的に言って、中規模の SIer 案件では、顧客側の見えない工数は、 SIer への支払い額に対して相当の割合になる(具体的な比率は案件 ごとに異なるが、決して無視できる規模ではない)。それでも今まで は選択肢が無かった ── 内製しようにも、社内でコードが書ける人材を 雇って維持する方が高くついた。
委託の本当のコスト = SIer への支払い + 顧客内部の見えない工数。 後者は契約書に書かれないが、実際には半分の重さを持つ。
同じ手間で、自分で作れる
ここが本章の中心命題だ。
「SIer に頼むほど高くついても、自分で作れないから仕方ない」── これ が旧来の議論だった。AI ネイティブな世界では、この論理が成立しない。
なぜか。SIer 委託で消費する社内工数(要件整理・ベンダー選定・ 管理・検収など)は、AI ネイティブな自社開発で消費する工数(要件 整理・設計・AI への委譲・評価・統合)と、重なるからだ。
- 要件をまとめる ── 委託でも内製でも、同じ作業
- 何を作るか決める ── 委託でも内製でも、同じ作業
- 動いた結果を評価する ── 委託でも内製でも、同じ作業
- 不具合を発見・修正する ── 委託では SIer に依頼、内製では AI に依頼
旧来の差は、「コードを書く」の部分だった。ここに巨大な金額と 人月が投じられていた。AI が実行を取ったとき、この差が消えた。
つまり、SIer に発注するための手間と、AI ネイティブに自社で作る 手間は、もう同等のオーダーになっている。同じ手間を投じるなら、 SIer への支払いをゼロにしたほうが、コスト的に明らかに有利だ。
「外注する手間」と「自分で作る手間」が同等になったとき、 外注を選ぶ合理的な理由が消える。
なぜ SIer はこの不経済を吸収できないのか
「SIer 自身が AI を使えば、内部効率は上がる」── これは事実だ。多く の SIer は実際に Claude や GPT を業務に組み込みつつある。それでも、 構造的に SIer 委託モデルは AI ネイティブな内製と対等にならない。
理由は四つある。
- 価格モデルが人月ベース ── 売上は「コーダー × 月数」で立つ。 AI で生産性が大きく上がっても、それを価格に反映すれば、売上は 同じ分だけ縮む。経営上、この移行はできない
- 組織が管理されたコーダー前提 ── 元請け + 一次・二次下請け、 チームリーダー、PM、品質管理 ── ピラミッド組織の全体が、コーダー を抱えて配備することで成立している(構造の転換は第10章で扱う)
- 既存契約のロックイン ── 数年単位の運用保守契約・独自フレーム ワーク・独自抽象層が、顧客を別の選択肢に動きにくくしている (FDE 型の極端なロックインは第8章で扱う)
- 採用と育成がコーダー向き ── 新卒研修も中途採用も、フレーム ワーク習熟・SQL・テスト記述といった実行能力を軸に組まれている。 判断中心のビルダーを育てる組織にはなっていない
結果として、SIer 側で AI を使っても、売上構造を維持するための 人月の上に AI が乗ることになる。コストは下がっても、価格は下がら ない。顧客から見れば、SIer 委託の総コストは、自社で AI ネイティブ に作る場合より高い水準で固定される。
SIer の縮小と再構成
これは「SIer が一斉に消える」話ではない。9 割が顧客側に移り、SIer の取り分が 1 割に集約される、という構造的縮小の話だ。
- 残るもの: 第5章で見た 1 割 ── 真に新しい技術領域、専門規制、 組織横断の権限問題、スケール起因の設計判断、経験的な落とし穴
- 消えるもの: 9 割の「AI が書ける標準的な仕事」── ここは顧客 側で吸収される
- 再構成されるもの: 残った 1 割の領域でも、契約形態が「多年の 運用委託」から「時間契約のコンサルティング」に変わる(第9章)
転換の速度、日本固有の事情(多重下請け構造)、雇用流動性は、 第10章と第11章で扱う。本章では「構造として、SIer 委託は AI ネイティブと対等にならない」までを確定させておく。
SIer は消えないが、9 : 1 の縮小と契約形態の再構成を避けられない。
次の章へ
「同じ手間で自分で作れる」までは、本章で示した。次に問うのは、 「同じ手間ではなく、金額で直接比較するとどうか」だ。SIer 発注 の見積もり額と、AI ネイティブな自社開発のコストを並べる。
次の章では、この価格差を扱う。